大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和54年(行ツ)138号 判決 1980年7月10日

上告人 田所善五朗 <ほか三名>

右四名訴訟代理人弁護士 氏原瑞穂

被上告人 高知市教育委員会

右代表者教育委員長 山本準一

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人氏原瑞穂の上告理由について

本件において、高知市職員給与条例における所論のいわゆる定期昇給に関する規定は、所定の要件をみたした職員に対して昇給に関する処分についての実体上又は手続上の権利を与えたものとは解されず、所論のいわゆる昇給延伸は、上告人らを含む特定の職種の者全員につきいわゆる定期昇給を特定年度に限り実施しないとの一般方針に従い上告人らに対する昇給発令が行われなかったというにすぎないのであって、これによって上告人らの権利を害する特段の処分があったものということはできないから、上告人らの本件訴は無効確認の対象を欠き不適法であるとした原審の判断は、正当である。論旨は、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四一〇条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中村治朗 裁判官 団藤重光 裁判官 藤崎萬里 裁判官 本山亨 裁判官 谷口正孝)

上告代理人氏原瑞穂の上告理由

原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の違背がある。

すなわち、原判決はその理由第一項において第一審判決理由を引用しつつ、定期昇給行為をもって「自由裁量にもとづき決定されるべき事柄に属するもの」と判断しているが、右判断は、次に述べるとおり地方公務員法第二五条第三項第二号・地方教育行政の組織及び運営に関する法律第三五条およびこれをうけて制定された高知市職員給与条例第四条第六項に違背し、その違背は判決に影響を及ぼすことが明らかである。

一、本件昇給延伸行為の処分性の解明については現代の法治国においては、行政行為の要件内容が住民を代表する議会で定立する法令(条例を含む、以下同じ)によって予め規定すべきものとされ、すべての行政行為は法令の定めに従って行われることが要求されており、法令に根拠がなければ、いかなる公益上の必要があろうとも、被上告人のような行政庁は行政行為という権力的な行政形式によって一方的に住民の法定地位を決定づけることはできないということがまず改めて想起されるべきである。

二、ところで、被上告人においてはこれまで(本件昇給延伸行為をするまで)すでに述べたように、昇給の基準に関する事項は給与に関する条例に定むべしとする条例制定事項主義の極めて厳格な覊束のもとに、上告人のような教育公務員について本件のような昇給延伸行為がなされた事例は、僅かに病気による長期間の休職のもの、懲戒処分をうけたものについてのみ(被告昭和五二年七月一一日付準備書面第一項)行われる例外措置であり、職員各自はそれぞれの前の定期昇給月から一二月を経過すれば当然に定期昇給するものと理解し、かつ、被上告人も本件条例制定以来長期間にわたってそのような解釈運用を継続し現在に至っているものである。

三、およそ行政行為についての法令の規定は、本件を含めて(1)いかなる場合に、(2)いかなる行為を、(3)するか否か、という形で示されるのが一般である。

そして右(3)についての「……ことができる」という法令の表現のし方は本来単に権限を行使する行政庁の権限行使の面を主眼としたか、権限行使の業務を主眼としたかの相違にとどまるものにすぎず、かつ、法治主義の原則は行政行為の要件(右(1)・(2))の決定を立法機関に留保し、行政庁をこれに従属させることにあるから、行政庁がその存在を認定しながら、なおその行為をなすと否との自由を認めることは、正に法治主義の趣旨に相反するものというべきであり、行政庁は要件の存在を認定した以上必ずその行政行為をすることを要するもの(すなわち覊束行為)と解せられているところである(佐々木「日本行政法(総論)」六〇一・七五三頁、柳瀬「行政法教科書」九七頁、有倉「公法における理論と現実」一七七頁各以下)。

そして、このことは、法令が法治主義の原則からみて事柄の性質上、行政庁の自由な裁量を許さず一般法則性(一義的な解釈)を予定していると解釈される場合に行われるのが覊束行為であり、法令が行政庁の政治的もしくは技術的な判断に委ねていると解釈される場合に行われるのが裁量行為であるとする解釈(例、田中「新版行政法上巻全訂第二版」一一七頁(2)以下)からも支持されうるものである。

蓋し、昇給の基準に関する事柄につき条例事項主義を採用する地方公務員法第二五条第三項第二号、地教行法第三五条は訴状請求の原因第二項に述べたように昇給の公平と統一性の維持と職員の生計の維持安定(定期昇給という客観的に一定した期間における)を図るという強度の一義的公益目的に立脚し、定期昇給期間毎に一義的に解決されるべきこと(一般法則性)を予定するものであって、被上告人のような行政庁の自由な裁量を許すものとは到底いいえないからである。

従って、本件昇給延伸行為の前提となった上告人らの定期昇給は、講学上の覊束行為というべきであり、これを延伸した被上告人の右行為は覊束行為に対する理由なき拒否処分としての性質を有するものといわざるをえず当然に行政訴訟の対象たりうる処分というべきである(さればこそ被上告人も前項に述べたようにこれまでに特殊の例外を除いては、定期昇給の覊束的解釈運用を継続してきているのであり、かつ、高知市条例昭和五一年四月一四日条例第一号第二条をもって、殊更に本件条例第四条第九項-老令者に対する定期昇給条項の適用除外規定を新らたに付加する必要もなかった筈である。-後者の場合にのみ条例制定事項主義が適用されなければならない理由はない。なお甲第五号証)。

四、そもそも地方公務員たる一般教職員(以下職員という)の給与については、地方公務員法(以下地公法という)は、その根本基準として、「職員の給与は、その職務と責任に応ずるものでなければならない」と定め(同法第二四条一項)、一応、職務給主義を採用するかにみえるが、他面同時に、「職員の給与は生計費並に国及び他の地方公共団体の職員並に民間事業の従事者の給与その他の事情を考慮して定められなければならない」(同条三項)とし、また「職員は、他の職員の職を兼ねる場合においても、これに対して給与を受けてはならない」(同条四項)とすることによって、生活給主義をも採用している。したがって、厳密には、地公法における職員の給与の建前は、その実際の運用はともかく、職務給と生活給の両要素を含んでいるものといえよう。さらに、地方公務員たる職員の給与は、法律の定めるほか、条例で定めるものとしている(同法二四条六項)。とくに、教育公務員については、「公立学校の教育公務員の給与の種類及びその額は、当分の間、国立学校の教育公務員の給与の種類及びその額を基準として定めるものとする」とされている)教育公務員特例法二五条の五)。これらの規定をうけて制定されたのが、本件条例である。

そして、本件条例三条一項(3)アの給料表(1)を見ると、職務の等級は、特一等級・一等級・二等級および四等級に分れているにすぎず号俸は、それぞれ一四段階・二四段階・三二段階および三一段階の号俸に分れている。このように、同一等級の中に数多くの号俸の段階が定められていることは、もともと、「職務と責任」に応じて職員の給与を決する職務給主義に大きく反するものである。換言すれば、「職務と責任」とに変化がなくとも、原則として一定期間の勤務の後に昇給が行われることを当然の前提としているものであることを窺いうるのである。そしてこのことは、下位の等級と上位の等級との号俸が僅かの差を持たせて重なり合うように定められていることや、本件条例四条五項および八項但書が一定の場合に、教育職の属する職務の等級における給料の幅の最高額をこえて昇給させることができるとしていることによっても、より一層明白というべきである。すなわち、地公法二四条一項の職務給主義は、本件条例の下においては、むしろ、定期昇給の原則と生活給主義の前に、大きく変容せしめられているというも過言ではなく、さらにこのことは理論上、等級の種類の少なく、かつ同一等級中の号俸の数が多い職種(教職員の場合がまさにこれにあたる)については、より強く妥当するというべきである。

しかも現行法上、公務員は、憲法二八条の保障する労働基本権を強く制限されていることの反面としても、右に述べたことは積極的に肯定されるところで、民間企業においてはいずれにしても団交権や争議権があって、毎年これを活用して労働争議が起り、ベース・アップや昇給が行われるのであるから、あらかじめ昇給制度などを設けても意味がなく、結局、これを労働争議の結果にまかせている法制下にあるけれども、これは団交権や争議権のない一般の国家・地方公務員には通らぬ論理であるというべきである(最(大)判昭和四八年四月二五日刑集二七巻四号五四七頁、浅井清「新版国家公務員法精義」昭和四五年・学陽書房二五五頁)。

五、ところで、屡述するように本件条例は、教職員の定期昇給または普通昇給について、「教育職員が現に受けている号給を受けるに至ったときから一二月を下らない期間を良好な成績で勤務したときは、一号給上位の号給に昇給させることができる」と定め(四条六項)、「職員の勤務成績が特に良好である場合」に行われる特別昇給(昇給期間の短縮・二号給以上上位の号給への昇給および右の両者を併せて行なうこと)とは区別している(四条七項)。そして、これら昇給は、「予算の範囲内で行なわれなければならない」とされている(四条一〇項)。

右のような規定によって認められている定期昇給の法的性格は、すでに前項において述べた現行給与制度の性格がまず考慮されなければならない。そこでは、定期昇給が原則とされているのである。しかも一般に、給与に関する条例制定事項主義(地公法二四条六項)は、職員が、民間労働者と異り、争議行為権を背景とする団交権の行使によって給与の決定に参加できないこととされているその弱い地位を保護するために、任命権者の恣意的な給与の決定を制限・規制するとともに昇給の公平と統一性を維持することを目的としているのであるから、右条例四条六項に定める「一二月を下らない期間を良好な成績で勤務したときは、一号給上位の号給に昇給させることができる」という文言は、形式的には、すでに右第三項に述べたように任命権者の裁量権を認めるもののようにも解されうるようではあるが、そこにいう「良好な成績」とは「普通の成績」を指し、「昇給させることができる」とあるのは、「昇給させなければならない」という意味に解せざるをえず、換言すれば、職員は、一定期間、普通の成績で勤務すれば、定期昇給制度の公務員給与法令における性格からして、当然に、とくに法律または条例の明文の規定による除外事由のないかぎり、一号級上位の昇給請求権を有することとなるものというべきである。

従って、この場合における昇給発令行為は、行政庁の裁量行為ではなく、一定期間、職員が普通の勤務をなしたという客観的事実を確認する行為であり、改めて職員の上位号給請求権を設定・形成するものではないというべきであり、このことは右条例四条六項による定期昇給を認めることが適当でない者に対しては、すなわち、「普通の成績」でないと判断される者に対しては、地公法二九条一項二号にいう「職務を怠った場合」として、懲戒処分をなすことが認められていることによっても、肯定することができよう。さらにまた地公法二八条の分限処分権の存在自体が右条例四条六項の定期昇給の法的性格を右のように解することに対して予想される職員に対する公正な人事管理を損うという批判をも避けうる根拠となりうるのである。

このようにして、職員の定期昇給は、現行法上、職員の権利として保障されているものであり、昇給発令行為は、効果意思を内容とする行政処分ではなく、むしろ、一定期間、普通の成績で勤務したという客観的事実の存在と職員の上位号給請求権の存在を確認するにすぎないものであるというべきである。

されば、任命権者は、一二月を勤務した者に対しては、自動的に昇給発令をする義務があるのであって、右発令をしないことは一種の受忍命令性質を有するものであり、昇給の基準についての条例に定められた右に述べたような昇給を受ける地位を害するものというべきである。

一二月を勤務した者に対して右発令をしえないほどの悪い成績が当該職員について認められるときには、本来その理由を積極的に示して、地公法の認める懲戒処分なり分限処分をなすべきものなのであり、「良好な成績」という文言も、現行給与制度の法構造の全体とその現実的機能からみて、昇給せしめるかどうかについての裁量権の行使の要件とは解されるべきではなく、したがってまた、条例四条一〇項にいう「予算の範囲内」も、少くとも定期昇給に関するかぎり、単に形式的なものでしかないと見なければならないし、現実の運用もそのようになっていることは、すでに述べたとおり周知のところである。

六、以上のとおりであるから、昭和五一年四月一日に昇給を行わなかった事実をもって不作為による処分とはみなかった原判決はすでにこの点において前示法令の解釈を誤った違法を侵すものというべきであるのみならず、昭和五二年四月一四日にした被上告人の行為の正当な理解(延伸の確認行為である)をも誤まるものというのほかはなく、原判決は速やかに破棄されるべきものと確信する次第である。

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